快楽
- 2008/02/16(土) 06:27:38
私達は快楽を求めるように様々な行動が決定される。
快楽を無意識に原動力として頑張れる。
しかし、そうではない部分の重要性に最近気が付いた。
利他性。
自分のことよりも他の人のために動く。
そうした動きが結局自分のためとなる。
宗教的な主張はそれは理屈ではなく、行動を常に行うことだという。
それは一理あり、その通りだと思う。
科学的な理屈では、利他的に行動するDNAが先天的に人間に備わっているという。
他の人のために何かをすることで、快感を感じるように人間は作られているようだ。
ただ、自分のために何かをしたいという願望がそれよりも強いということだ。
どうやら人間100%を利他性で飽和した状態にはせず、
ある割合で利己性も創造したようだ。
あるいは、ある割合を一定に保つようなシステムを神と呼ばれる存在が創造したのだろう。
なぜならば利他性がより地球全体で広がっていくためには、
それが良い悪いという議論は別にして、
利己性を持った人間の存在がどうしても必要だからだ。
病気になったときに無菌状態にしても病気は長引く。
病気を治すための作用と、雑菌のバランスが取れていないとき、
病気は悪化する。
身近な人間の例のひとつひとつに当てはまる。
ぜひ、利己性に囚われている人に対して仁愛の精神で接し、
利他的に世を渡り歩きたいと私は思っている。
利他性だけでなく利己性もバランスよく自分の中で共存しなければと思うが、
難しいのは利己性を意識してしまうとき、
利他性の割合が少なくなるように、あるいは利他性が見えなくなるように人間は設計されているようである。
この点に十分注意を払い、まずは利他的な行動を率先して行うことが大事なのではないか?
と思うのだ。
よって理屈ではなく、行いありきだという宗教的な主張は正しいと思う。
以上
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